芥川龍之介 文学散歩  – 横浜文学学校

芥川龍之介 文学散歩 

一、芥川龍之介生誕の地 現在の中央区明石町十―十一(入船町八丁目一番地)

聖路加国際大学内。父は新原敏三。

この入船町は外国人居留地で、新原は牛乳販売会社耕牧舎の社員で、ここに住み外国人に牛乳を販売していたようです。敏三は芥川家のフユと結婚し、明治二十五年に龍之介が生まれます。しかし、龍之介が生まれてしばらくしてフクが精神障害を患ってしまったので、実家の芥川家にフクと、龍之介が預けられます。結局フクは龍之介が十一歳の時に亡くなり、この時に龍之介が芥川家の養子になり、フクの妹のフユが新原敏三の後妻となります。

話は築地に戻ります。そのころ外国人で商業関係の人は横浜に居留していたので、この外国人居留地は、どちらかというとそれ以外の人、宗教、教育、福祉関係の人が多かったようです。教育関係では、ここは関東学院、明治学院、青山学院、立教学院、立教女子学院、慶應義塾などの発祥地で、今ここにある聖路加病院は明治三十四年に米国聖公会が開設しました。(トイスラー)

JR両国駅

二.芥川家 現在の墨田区両国三丁目二二番十一号(本所区小泉町十五)

現在サンクスのある建物。

出生の後、母フクが精神病(? 渡辺さんが詳しいと思います)になり、龍之介は母フクの実家に引き取られたわけです。ここは回向院や大川(隅田川)のすぐそば。

十一歳の時に母が亡くなり、十二歳で、芥川家の養継子となる。芥川家は徳川家に仕えていた家柄だそうで、家仲が芸術、演芸を愛好していたようです。

三、江東尋常小学校(現在の両国小学校)入学 墨田区両国四丁目二六―六

龍之介の碑あり。

JR田端駅

四、田端文士村記念館 田端駅北口正面

散策地図に従い、ご案内。多数の著名人の旧宅跡を巡る予定ですが、状況によりコース・時間などの変更があります。ここからの解説は、田端文士村記念館の元学芸員であった、黒崎力弥さんにバトンタッチします。

主な案内場所(記載がない場所も地図に従ってご案内します)

六、芥川龍之介自宅跡 (北区田端一―二十―九?)

塀に沿って植えられた山茶花の木々は当時のまま残り、芥川家の息吹を今に伝えている。創作活動に適したであろう閑静な芥川家の跡地は後に三つに分割された。写真の左側

七、天然自笑軒跡

芥川の養父の友人、宮崎直次郎が経営する高級会席料亭跡。「道閑会」(田端の文士・芸術家の集まり)の会場。ここで龍之介の結婚披露宴が行われた。

八、下島医師旧宅跡

九.大龍寺

正岡子規墓所 子規の親友が夏目漱石(龍之介の師)である。

十.サトウハチロー旧居跡

デビュー作を発表した場所でもある。

十一、慈眼寺 芥川の墓 豊島区巣鴨五丁目三十五番地三三