永井荷風 – 横浜文学学校

永井荷風

散歩文学の名手とも言われた永井荷風を今回は取り上げます。荷風が活躍したのは戦前から戦後にかけて。変人と自他とも認める荷風は人生の多くを独身で通し、きらびやかな虚飾に満ちた銀座の女ではなく、場末のわびしい住居で暮らす私娼に安らぎを感じていました。その荷風が好んで通い続けたのが現在の東向島。

では迷宮といわれる花街「玉の井」で繰り広げられる「墨東奇譚」の世界を散歩してみましょう。

参考図書

  1. 墨東奇譚
  2. すみだ川
  3. 寺島町奇譚(滝田ゆう)花街の通りや溝の構造がよくわかります。
  4. 断腸亭日乗 一九一七年から一九五六年四月二十九日までの日記。激動期の世相とそれに対する批判を、詩人の季節感と共に綴ってある。独身であるためレストランの記述は多い。

「断腸亭日乗」に登場するレストランは多数ありますが、頻度が多いのは以下の通りです。

  • 一位 アリゾナ(浅草、アメリカ料理店)七十四回
  • 二位 フジアイス(銀座、洋食)    四十六回
  • 三位 飯田屋 (浅草、どぜう料理)  四十四回
  • 四位 大黒屋 (市川市、天ぷら、鮨、うなぎ)十五回
  • 五位 天竹  (浅草、天ぷら)    十三回

横浜から上野へ行き、東京メトロ日比谷線北千住方面に乗り二駅目・三ノ輪駅北口下車

1.浄閑寺

この寺は吉原の遊郭で死んだ二万五千人もの遊女(三百年間)がこの寺に投げ込まれるように埋葬されたという。

生まれては苦界 死しては浄閑寺  花叉花酔(はなまたかすい)

山門は明治時代のまま残っている。永井荷風の碑、筆塚がある。荷風は娼婦に小説の題材をよく求め、また自身も彼女らによって癒されていたようです。自分が死んだらこの寺に葬ってくれと言っていたが、遺族はその願いをかなえなかった。

三ノ輪から上野、次にメトロ銀座線で浅草、さらに都営浅草線で京成八幡駅へ

2. 荷風の最後の家。

ここで四月三十日に亡くなっているのが、お手伝いさんによって発見された。大黒家のすぐそばにある。

3. 大黒家(鮨、てんぷら、うなぎ)

ここの女将さんが荷風の最後を知っている。お嫁に来て二年後に荷風が来店するようになった。亡くなる前日もこの店で食事している。

京成線で浅草へ12時半

4. アリゾナ(アメリカ料理)

日記「断腸亭日乗」に74回も登場するレストラン。荷風のお気に入りで、初めて入った日の印象を記している。

味思ひの外に悪からず値亦廉なり。スープ八拾円、シチュー百拾五円。

(断腸亭日乗 昭和二十四年七月十二日)

5.ロック座

6.梅園(お汁粉)

尾張屋(そば)

飯田屋(どぜう)

浅草から徒歩で

7.隅田公園へ。

13時半(すみだ川の舞台)三囲神社と待乳山下・山谷堀を結ぶ「竹谷の渡し」跡(昭和三年廃止)。桜橋よりの情景も。言問団子、長命寺桜餅

8.旧玉の井へ。

「墨東奇譚の舞台」お雪の家はどこだったのか? 私娼街の散策  モデルは存在しないのだが。極彩色のモザイクタイルで装飾された柱やアールデコ調のバルコニーを探す。

8.願満稲荷

水子供養

9.玉の井稲荷

東清寺境内 伏見稲荷は空襲で焼けたのち再建されなかった。

10.寄席玉の井館跡

現在スーパマーケットになっている。

11.中島湯跡

12.交番

鳩の町 脚本 「春情鳩の町」の舞台。

13.ドブは暗渠となって見えなくなっているが実際はどこにあったのだろう。

寺島奇譚を参考に想像する。