樋口一葉『たけくらべ』
今回は樋口一葉です。場所は東京で、ほとんどが戦災で焼けていますが、いくつかの場所がたどれるようです。さて、前半では文京区本郷菊坂時代の旧宅を訪ねどんな暮らしをしていたのかをさぐり、また後半では台東区竜泉寺時代の旧居を訪ね、「たけくらべ」の舞台を回ります。
小説 たけくらべ よもぎふ日記尋ねる場所
一葉はJR上野駅から半径二キロ程度の狭い範囲で生まれ、そして一生を終えた人でした。今回尋ねる場所は、そのうち作家として生きていくうえで重要な意味を持った二つの場所に焦点を絞りました。
都営三田線 春日駅より (本郷菊坂時代)
一.伊勢屋質店
貧乏な一葉が頻繁に利用した。もう営業していないが奇跡的に残っている。
二.菊坂上通りから下通りに降りる階段
よもぎふ日記によればここで書生にからかわれている。また知人には自分の家を谷の底にあるといっている。古い建物が残っている。
三.菊坂時代の旧居
古井戸のある路地の入り口あたり。ここに住んでいたとき、明治二十四年に一葉は朝日新聞の小説記者半井桃水に出会い師事していた。
写真では一葉も使ったであろう手漕ぎの井戸が見えるが、旧居はその右側にあった。
四.鐙坂
三田線 春日駅へ 営団日比谷線 三ノ輪駅より
(たけくらべ)の舞台 (新吉原周辺)浄閑寺 「たけくらべ」の美登利はゆくゆくはお客をとることになる運命の少女である。
この寺は吉原で死んだ二万五千人もの遊女がこの寺に投げ込まれるように埋葬された。
生まれては苦界 死しては浄閑寺 (花叉花酔翁)
一.千束稲荷神社
「たけくらべ」の祭礼の舞台 この夏祭りをきっかけに物語が展開する。
二.竜泉寺
このあたりが一葉が住んだ竜泉町
三.一葉記念館
四.大黒屋寮跡
「たけくらべ」ではこの「松大黒桜」前で信如と美登利がであった。信如の下駄の鼻緒が切れ、美登利が雨の中を出て行くが、信如だとわかると、ぱっと顔を赤らめる。信如は口をきかず、美登利も意地を張って口をきかず、友禅の切れ端を格子門からぷいと押しやるだけになる。そこへ通りかかった長吉に下駄を貸してもらって、信如はかえって行った。後には友禅の赤い切れ端だけが残った。また。最後に増加の推薦が差し入れられたのもここの格子門です。
五.お歯黒どぶ跡
このどぶはできところは幅九メートルでこれに囲まれた内側が別世界の吉原遊郭だったそうです。こんなに幅が広いのは遊女の逃亡を防ぐためである。内側は今も道路から一段高くなっている。正式な入り口は大門だけだが、各郭には跳ね橋があって必要なときに外の世界とつながった。昭和三十三年に廃止された。ここを回れば吉原大門にいたる。
六.見返り柳
遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつこの柳のあたりで振り返ったことから付いた名前。柳は「異界」の象徴で日本の各地の遊郭の入り口に見られる。ここに見えるのは三代目か四代目の柳のようで、親の木は切り倒されています。
七.吉原神社
吉原の花魁が参拝したという
八.吉原弁財天
遊郭桜主たちの信仰を集めたという
九.樋口一葉旧宅跡
菊坂町より転居 荒物・駄菓子業を営みその生活体験を元に「たけくらべ」を書いた。向かいにライバル店もでき、生活は苦しかった。
十.鷲神社(大鳥)
酉の市が「たけくらべ」に出てくる
十一.筆屋跡
筆屋事件。ここで美登利が「ここは私が遊び場お前がたに指でもささしはせぬ」といって啖呵をきった。
十二.大音寺
「たけくらべ」の竜華寺のモデルといわれている。 「たけくらべ」の信如はこの寺の住職の息子という設定。
十三.朝日弁財天
明治期は「水の谷の原」と称し、「たけくらべ」にもでてくる
十四.太郎稲荷神社
「たけくらべ」で美登利が姉さんが繁盛するようにと願いをかけている。
入谷駅へ 五時半から六時ごろ 懇親会 上野駅のそばの居酒屋
なお、実際に「たけくらべ」を書いたのは終焉の地である文京区白山通りのコナカのビルのあたりです(結核と戦いながら傑作を書いた。奇跡の十四ヶ月といわれる)が、今回は時間の関係でいきません。また、一葉の幼少時の自宅、さらにお墓は杉並区(京王明大前駅)の築地本願寺別院和田堀廟所にありますが、ここもいきません。