森鷗外の上野さんぽ – 横浜文学学校

森鷗外の上野さんぽ

作品 『雁』『舞姫』『青年』

一.蓮玉庵

蓮玉庵

一ハ六〇年(安政六年)創業。店の看板は久保田万太郎の筆による。『雁』の登場人物で高利貸しの松造が好きな店。鷗外もよく通ったという。

二.不忍池

池の北端、水族館のあたり。岡田の投げた石で雁が死んだ。

三.無縁坂

以前はこの坂道に格子戸の家が多かったという。『雁』の松造が囲っていたお玉の家(格子戸の家)があった。岡田は雁をマントの下に隠してここまでやってきた。ここはさだまさしの「無縁坂」でもある。

四.横山大観記念館

このあたりに松造の家があった。

五.水月ホテル 森鷗外旧居

ホテルのなかに木造の旧居が保存されている。『舞姫』の碑、駐車場のわきには『於母影』の碑などがある。最初の妻登志子と新婚生活を送り、離婚して千駄木に移るまで暮らした所。ここで処女作『舞姫』『うたかたの記』『於母影』を書いた。

六.(参考)サトウハチローの旧居

詩人、童謡作家。「ちいさい秋みつけた」「りんごの唄」「長崎の鐘」など多数の童謡、歌謡曲を作詞した。

七.根津神社

権現造りの重要文化財。「文豪憩いの石」がある。漱石、鷗外たちがこの石に座って想を練ったという。また、鷗外が奉納した水飲み場がある。これは砲弾を飾る台座だったという。

八.藪下通り 鷗外の散歩道

明治の文豪たちもこの道を通って鷗外の観潮楼へ通ったという。

九.(参考)猫の家 夏目漱石の旧居跡

十.森鷗外記念館

観潮楼跡に二〇一二年に造られた。三人冗語の石もあり。鷗外は創刊した文芸誌「めさまし草」で「三人冗語」という文芸評論を書いていた。森鷗外と、幸田露伴、斎藤緑雨がこの石の周りで評論している写真が残っている。樋口一葉がこの評論で『たけくらべ』を激賞された。